N言語のそのままで

琴線に触れたことをちょっとだけ考察入れながら書き起こします。生業はシステムエンジニアでボランティアでカウンセラー活動しています。ベースは心理学、現象学です。

表象ではなく人格を見てほしい -『「女性エンジニア少ない問題」を解決するために・・・』について

私もひとりの女性エンジニアであり、

仕事をする中で色々と考えたり、感じることがあります。

差別が空気として蔓延していると、差別だと思わない人の方が多いもの。

ジェンダー固定化の観点から、批判的に書きます。

(以下、論評になるので語調変えます。)

 

 

元ネタ

「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する - ログミーTech(テック)


擁護的

Y社のエンジニア炎上について思ったこと -「女性エンジニア少ない問題


批判的

Latest topics > 女性エンジニア少ない問題を解決する話、の何が問題なのか - outsider reflex


エンジニア全員が抱えているもっとも重要な課題っていうのは、言うまでもないと思うんですが「女性エンジニアが少ない」。
(中略)
そして、これによって生じる問題は、男性エンジニアにとっては、「いいところを見せたい」というやる気が出ない。
そして、女性エンジニアにとっては、女子トークができない。これは非常に重要な課題だと思います。

(元ネタサイトより引用)

 
女性エンジニアが少なく、増やすべきなのがなぜなのか、という問題提起をするための根本理解のところが問題。ジェンダーの現代的文脈への理解が示されず、無邪気に表面的にジェンダーを固定化する方向から語っている。

 

女性エンジニアを増やすべきなのは、今まで男性中心であった世の中を女性も同様に地位や利権を得られるようにして行くため。明文化された規定は男女差別を撤廃しているが、不文律は人の意識が変わらない限り変わらない。

そして今回、エリートと呼んで差し支えない人から不文律を固定化する方向の意識が見て取れたので、怒っている人が多いのだと思う。 

 

男性エンジニアが女性エンジニアをモチベートのツールとして利用している

対して女性は女子トークができない、というのはあまりにも浅いと思う。

男性が女性を利用する、という規範化されたジェンダーの文脈そのままに、それを意識せずに語っている。おそらく、女性が社会で不利益を被っており、それが歴史的・構造的に作られてきた意識・文化によるものだ、ということを彼は理解していない。

少なくとも身内や周囲の人から実態を見聞きするなど実感を伴った問題意識は無いはずだ。今後の社会を作っていく先端人材の基礎教養として、ジェンダーを学んでほしい。

 

ただ、女性エンジニアを1から育成するっていうのは、非常にコストが大きいんですね。

(元ネタサイトより引用)

1から育成しないといけないのは、女性は学びのレベルが低いから、ととられかねない文脈。ここは書き方の問題であるようにも思う。

 

せっかく見た目がかわいくなったんですが、やっぱりそっから野太い声が出てくると悲しいと。

(元ネタサイトより引用)

一番問題なのはここ。中でも「やっぱり」がひっかかる。

 

解釈すると、

そういう風に可愛さを求めちゃうのはよくないのかな、とも思うけど、「やっぱり」可愛くないと悲しいんだよね。という「やっぱり」であり、本音であることを意味する言葉である。

女性は見た目も声も可愛くあってほしい、なぜなら僕のやる気が出るから。という本音である。

 

あの人が好きだから一緒に仕事するとやる気がでるんだよね、であれば、個人の人格に対しての反応であり、こうも批判されることはない。

可愛い女性と仕事するとやる気がでるんだよね、は女性をひとくくりに、可愛いツールとして表象を利用している態度になる。見た目や声で判断するというのは、人格を軽視した差別的態度につながる。

 

女性の地位向上がはかられる時代背景からすると、女性の人格を軽視している発言、ということになる。発言者は技術では先端に立つ者かもしれないが、社会倫理的素養が遅れていると言わざるをえず、そのギャップもここまで炎上した理由の一つかもしれない。

 

また、「やっぱり」のところで、女性に可愛いさを求めるのは倫理的によくないのかも、というフィルターが若干かかるが、本音が押し出てしまう、というところに問題の深さを感じる。
(こういう本音を持つ人は多数存在すると思われ、個人攻撃ではなく一般論として。こういうの、本当によくある。)

本音の部分で女性をそうみている、というのは文化や教育の問題であり、本人がどうこうできない可能性もある。こういう人は男性女性問わずかなりの割合で存在して、社会人になってから意識を変えようとしても中々変わらないのかもしれない。


少しずれるが、大人になってから自分を変えられるのはそれまでに培ってきた学ぶ力如何だと私は思っている。学び取り、内在化させ、自己批判することで自分を変えられる。
元ネタの発言者も、彼の所属する会社の広報部や上層部も学ぶ力を高いレベルで培ってきた人であると思っており、意識が変わることがあればこの記事のその後を数年後にまた発信してほしいと願う。

 

 

軽いノリでいじっただけ、でもそれが連続的に特定の対象に行われれば、いじめになる。

多くの人が、女性の人格軽視を軽いノリで行っているのも、それを受ける側が連続的に表象としての女性として扱われ続けて、人格軽視に至ればそれは男女差別でり人権侵害である。

 

また、いじめは、見ているだけも、いじめに加担していることになる。
女性を表象、あるいはファッションとして見る態度についても、無意識であっても非倫理的としてネットに晒される。

 

学校でいじめがあったら、ホームルームでの話し合いが持たれ、倫理観の摺り合わせがはかられる。
大人にはそれがない。アンテナを広く張って自発的に学ぶしかないのだ。

 

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お読みいただいた方、ありがとうございます。批判側の考えについて少しでも理解が深まれば幸いです。

地雷を踏まないための知識として出回ってしまいがちですが、人間尊重の一つの形としてのジェンダーを考える人が増えてほしいと願っています。

より多くの人が、可能な限りすべての人が、心豊かに生き合える社会になる一歩として本件が寄与する道もあるはずです。